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by couturira
| 2012-12-03 09:27
| 手しごと
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先日同窓会があった。
彼らとは2年ぶりの再会である。 県内に残っている同期のメンバーは4人なのだが、みんなの住んでいる中間地点をとって、会うのはいつも周南である。 子供たちの送迎を終え、急いで電車に飛び乗った。 久々の再会を喜び、終電で家路につく。 翌日、長女に 「何時に帰ったの?」 と聞かれた。 その日子供たちは、オットとともにテレビを見ながらそのまま眠ってしまったらしい。 しかし、ふと目を覚ました長女はみんな眠っているのにテレビや電気がついていることに気がついた。 電気を消した後、玄関の鍵が閉まっていないか見に行ったと言うのだ。 「鍵が閉まってたら、お母さんが家に入れないと思って」 憎まれ口を叩くことも増え、腹が立つことも多いここ最近だったが、優しい子ではないか。 こんな気持ちを持っていてくれることに対してありがたいという思いと、家の事など一切忘れて懐かしさに浸っていたことに対する後ろめたさが入り混じり、嫌がる長女のアタマをぐりぐりとなで回した。 ナマイキ盛りの今日この頃だが、少し余裕を持って接したいと心に誓った… #
by couturira
| 2012-07-02 08:32
| 子そだて
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「どうだったって、どういうこと?」
あからさまにイライラしながら長女は私に言い放った。 その日私は1日バタバタしていて、夕ご飯の支度がまだ出来ていなかった。 たまたまオットが早く帰って来たので、長女の迎えに行ってもらった。 食卓を囲みながら、私は長女に尋ねた。 「バレー、どうだった?」 そんな質問はいつものことで、ある時は長男や次女に言葉を変えて投げかけられるもので、その日が特別だったわけではない。 しかし、この日の長女の反応は全く違ったものだった。 それが冒頭の言葉だったのだ。 確かにその日彼女はイライラしていた。 ハードな練習に疲れて帰ってきたのに、夕飯の準備を弟たちが手伝わないことに腹を立てていた。 食事をしながらも、周りにトゲトゲしい態度をとっていた。 そんな感じで飛び出した言葉だった。 しかし、私も見逃すことが出来なかった。 疲れているのは分かるけど、その言葉はないだろう。 そんなに周りに当たり散らすなら、いっそやめてしまえばとぶちまけた。 私の方にも言い分がある。 長男とキャッチボールをしていても、長女をバレーに連れて行く時間となり、中断せざるをえなくなる。 長男にはブツブツ言われながらもそんな彼を置いて、私はハンドルを握る。 そんな犠牲も払いつつ、多いときは週に5日も長女の送迎をしているのだ。 やってあげているくらいに思っているのなら、やめてしまえと私は言い放った。 本当にやる気があるのか、明日までに答えを出し、やりたいのなら二度とそんな態度をとるなと。 長女は涙ぐんだが、何も言わなかった。 そんな様子を黙ってみていたオットは、お風呂の時にこっそり長女に声をかけていた。 「寝るまでにはお母さんに謝っとけよ」 しっかり聞こえている。 次々と弟たちはおやすみと二階に上がり、それに伴いオットも上がっていった。 部屋には私と長女二人になった。 いつ切り出すのかと待っていたが、おもむろに長女は立ち上がり、部屋の中ほどにある階段へゆっくりと歩いていく。 私の目はテレビに向けられていたが、意識は長女に集中していた。 階段に一つ足をかけて、長女は小さな声で 「おやすみなさい」 と言った。 予想外の言葉に不意をつかれた私は、思わず 「おやすみ」 と言った。 しばらくして2階から降りてきたオットは、彼女の言葉を伝えた。 「謝らなかったけど、お母さん、お休みって言ってくれたから大丈夫」 と… あまりにトンチンカンな言葉に、思わず吹き出してしまった。 許したわけではない。 不意をつかれただけなんだ。 不器用で、口下手な長女らしい出来事である。 次の日、長女はバレーをやりたいと言ってきた。 そんな話をバレーのお母さんにもらしたら、とても良い話を聞くことが出来た。 そこは長女と同じ5年生の女の子だ。 しかし、上に高校生や社会人になるお兄ちゃんがいる。 そんな大きなお兄ちゃんも、自分の用事で母親に送ってもらうときは「お願いします」、連れて帰ってもらうときは「ありがとうございます」と言うというのだ。 聞くと、スポ少をやっていた頃からそうしつけたらしい。 大切なことを我が家では省いていたと、ハッとした。 そうすることで、誰か他の人に送ってもらったときにも感謝の言葉は自然と出てくるはずだ。 帰ってすぐに長女だけでなく、子供たちに約束させた。 さて、私の話だが、小さい頃は習い事をいろいろやっていた。 しかし、正直なところやらされていると思って続けていた… その中で好きな習い事もあったのだが、親に感謝しながら続けていたわけではない。 自分のことは棚に上げて、とんでもない親である。 昨日はピアノの日。 次女は忘れていたが、こちらから声をかけるときちんと言えた。 今日はバレーもソフトもある。 果たして長女は覚えているだろうか… #
by couturira
| 2012-06-27 08:56
| 子そだて
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入学式から1ヵ月が過ぎた4年前のこの頃、長女は泣きながら学校へ行っていた。
泣きながらでも登校班に並んで私と一緒に歩ける日はまだ良かったが、お腹が痛くなって車で送る日もあった。 幸い次女は今のところ元気に毎日学校へ行っている。 連休が終わり、ようやく日常を取り戻しつつあったある日、長女が言った。 「はるちゃん、今日は泣かずに学校へ行けたよ!」 はるちゃんというのは次女と同じく1年生で、同じ登校班の子だ。 彼女も3人兄弟の一番上で、長女と全く同じ境遇である。 長女はお母さんがいいと言って涙を流す彼女に、 「はるちゃんもお姉ちゃんだから大変よね。分かる分かる。」 となだめながら学校へ行っているらしい。 自分も1年生のころはそうだったこと。 長女として大変なこと。 いろんな事を話しながら、とぼとぼ歩く彼女の後ろを毎日ついて行っているようだ。 そんな彼女を励ますため、ある日はキーホルダーをあげたとも話していた。 私達も当時は大変だったが、長女もその頃はつらい気持ちで一杯だっただろう。 しかし、そんな経験もはるちゃんを励ますのに大いに役立っている。 辛い経験をした彼女だからこそ、気持ちがよく分かるのだろう。 そうして人は強くなり、今度は誰かを支える側にまわる。 そんなことをひしひしと感じた。 元気に歩く彼女の様子を毎日嬉しそうに報告する長女を見ていると、頼もしく、嬉しくなる。 少しくたびれてきたランドセルが、すっかり馴染んで頼もしい。 #
by couturira
| 2012-05-17 20:10
| 子そだて
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タイミングというのは突然やってくるものである。
私の場合、習字教室を始めようと思いつつも重い腰を上げられずにいた冬の終わりにやってきた。 なかなか決断できずにいる私を、先生は思い切った方法で背中を押した。 後から聞かされた事なのだが、 「私がやめるとでも言わないと、あなたは決断しなかったでしょう」 と先生はにこにこと教えてくれた。 そこまで私のことを見抜かれていたとは、恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。 そして春先には今の先生に出会う前にお世話になっていた先生が、しばらく教室をお休みされるということで、友人から子供を見てほしいと連絡があった。 そんなこんなで流れに流され、4月から習字教室を始めることになった。 私の人生を振り返っても、こんな風に流れに身を任せて来たような気がする。 そんな私のことを 「大きな決断もあっさりと決めてしまう」 と母はぼやくのだが、私は私なりに色々考えているつもりなのだ。 しかし、何か始めるときは、そこに私に必要な物がきっとあるはずだという思いと、失敗してもその中に得るべきエッセンスがきっと含まれているはずだという思いは常にある。 また、そんな風に考えることで少し楽に生きられる気がする。 下の子の入学、学校の役員など、一気にいろんな事がスタートした4月だったが、そろそろ自分のペースをつかんで周りを見渡す余裕を持ちたいこの頃である。 そして、自分の書も頑張って続けていきたい。 #
by couturira
| 2012-05-16 11:53
| 日々のこと
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